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16. momdoll@75c全店舗

ショップをずっとやりたいと思ってた。
私がセレクトしたものを私の好きなように、並べておく空間。

昔から雑貨とかそういうものが大好きだった。
そして
ラッピングをしたりすることも大好きで
いつも、ラッピングが気に入らないいろんなお店でのプレゼント用の包み。
そんなのを全部解消する場所にしたいな・・・・

内海さんは
カフェがしたいといってた。
だから
小さくて狭い空間だけど
カフェもやろう。

もちろん
ライフスタジオのスタッフたちの新しい撮影空間だったり
新しいアイディアだったり
そういうものを広げて考えられるような空間も作りたかったから

select shop momdoll ~photo & cafe~

に、なった。

李社長にこのショップをやることにしたと話に行った。
社長に話をするときは
いつも決まって自信がなかった。
なんでだろ
たぶん、私の中で
ライフスタジオにいながらやるべきこととか、
社長の望みとか
なんだかそんなこととかいろいろが、とってもよくわかってるつもりで
だけどなんだか混乱してて
そんな状態が続いたからなのかもしれない。

今思えばそれは私が作り出した妄想の中での、いろんなしがらみだったのかもしれない。

社長は常に私の見方で
私のことを、考えてくれてる。
いつでも、そうだった。
だからこそ、一緒にやってきたんだとおもう。

社長がインテリアを手伝ってくれることになって
いろんなことをお願いした。
言い訳がましくいろんな計画があいまいなことにイライラされながらも
おまえの店舗だからと、必死でイライラをおさえ
インテリアを作った。

震災とか
ギャラリーのオープンとか
いろんなことがあって
オープンが5月になった。

5月1日オープンといわれて
5月3日にオープンと決めた。
私の、誕生日。
ただ、それだけの理由だったのだけど(笑)

時間のないなかでいろんなことをば~~~~~~っと進めて
なんとか、オープン。
恵比寿店のお客様にしかDMはお送りできなかったけど
たくさんのお客様が、DMを持ってご来店してくださった。
久し振りに再会した嬉しい出来事も多く
私の誕生日だったこともあって
いろんな人が、お祝いに駆けつけてくれた。
とても、嬉しい時間。

ここから始まるいろんな出来事を、大切にして行こうと思った。
何があるかはわからない。
だけど
とにかく前に進んでいこう。
そんな思いと共に。

 


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15. タイミング@75c全店舗

今までのこと、これからのこと。
そんなことを、たくさん考える期間。

人間なんだから当然だといわれれば、もちろんそう。
だけど、それだけで済ましてもいいのか??と、思う。

自分が過ごしてきた時間に、いつも、意味づけをして生きてきた。
そんな風に思う。
だからこそ
なんとなくすぎていく時間・・・・というのが、私の中ではとても苦しく思えるようになっていたのかもしれない。

自分のいる空間が
自分にとって
そして周りにとって
なんなのか?

ライフスタジオというスタジオにいると
とても素敵な出会いが多くて
喜んでいただけるたくさんのお客様と共に
そして一緒に撮影に入ったスタッフと共に
とても、価値のある時間を過ごしてきたように思う。

だけど
恵まれた環境の中では
なかなか見えないものも、ある。

よく幸せすぎると、何が幸せなのかわからなくなるというけど
そんな感じだったのかもしれない。
特別何も問題もなく
特別何もない。
贅沢な期間だったのかもしれないけど
私にとっては、なんだか息苦しい期間のように思えてた。

自分で動いて
価値を作り出す。
そんなことが、いいのか悪いのかよくわからなくなったり、する。
それが価値となりうるのか、それとも自分のエゴなのか
それが、わからなくなったりするんだ。

私は
自分のスタッフたちと共に
人生を描いたりする。
そんなスタッフたちとの場所がつくりたくて、社長と一緒に仕事をしてきたと、思ってる。
誰、というのではなく
私がとても大切にしてきた、留学生活で感じたこと。
それを実現するために、仕事をしているのだと思ってきたんだ。
だからこそ
自分が自由に発想して
それを自由に形にしていくことが、とても大切に思えていたんだ。

そんなことを、グルグルと。

環境をかえたり
条件をかえたり
それは新しいことに挑戦することだったり
今の場所を新しく違う見方をしてみることだったり
いろいろあるんだと思う。

私の中の変化は
そのときはきっと、自分が何かを決めること?だったのかもしれないな。

恵比寿で何かをしたいなと思った。
恵比寿に店舗があるから。
いろんなとこに自分が足をはこぶのも大変だし(笑)
恵比寿がとても好きだから。

そんな風に思ってて
発見した、物件。

いろんな偶然が、必然だと思えたりして
タイミングがきた!!と、思った。

そんな風にできたのが、momdollだった。

momdollは
内海さんの作った、オリジナルのぬいぐるみの、名前。
内海さんが留学をしてた頃
ホストマザーだった人たちのことをイメージして作った人形。
私はこのmomdollに引き寄せられて
内海さんに出会い
そして
一緒に、セレクトショップを立ち上げることに、決定。

あまりにもいろんな条件が急にそろったから
すぐに動いた。
私にしてはきっとそうとう大きな決断だったんだと思うけど
なぜだかそのときは特に迷いがなかった。
迷いがない。
そのときは、いくしかない。

自分で決めたことには
自分が責任をもっていくしかないからね。
しっかりやっていこうという、思い。

一連のモヤモヤを断ち切っていくために
とにかく自分の環境をかえること。
私にできる限りの、努力だったのだと思う。

 


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14. 誰かと一緒に。@75c全店舗

恵比寿店がオープンして
ドキドキする日々が、続く。

どんな毎日を過ごすのかなんて、結局は全部
自分次第。

私が何を、どう思うのか。

それに、かかっているんだということ。

スタートのメンバーは
仲良しの後輩の、ワカコと
お客様だった、足立さん
そして実の妹の、妙子。

こんなメンバー、楽しくないはずがない。

仕事をするのは
誰とするのか。
それが、本当に大切なのだと思う。

もちろん毎日一緒にいて
毎日毎日を新鮮に過ごしていくモチベーションを保っていくのは、そんなに簡単ではないことも、知ってる。
知ってるんだけど
それを、ちゃんとこなしていきたかった。

日々
スタッフたちの話を聞きながら
いろんなことを考える。

私たちが求めてる姿って、どんなだろうね?
どんな状態を、求めてるんだろう?

ライフスタジオの1つの店舗をつくること。
私のこだわりをもった、大切な空間を、つくること。
これは、私にとって、とてもとても大切で
価値のあること。

じゃあ、その次は?

同じ思いで仕事をしていける人たちと一緒に
新しい何かを探していくこと。

李社長がいつも言っていた。
日本には、あったかい人との出会いを求めてきたんだって。
もちろん、いろんな表現の仕方があって
受け止め方もそれぞれ。
だけど私は
李社長と共に過ごしながら、本当に、心から、そんな人との出会いを求めているんだって言うことを
知ってた。

そしてそれが、
私への最大の望みであることも、感じてた。
少なくともそのときは
私にその責任があるんだと思っていた。
だから、必死だったんだと思う。

どこにいるんだろう?
社長と考えを
心から、共有できる人って、どこかにいるのかな・・・・・・・・・・・

そんな、思い。

人間は
そんなに単純ではないけど
それでも
私は直感で生きる人。
今までその直感で、生きてきた。

話せば長いけど
結局のところ
12店舗目にオープンをした、新松戸店。
新潟の、photo house veryveryの代表である、内山さんと
2年間、いろんな話を進めてきながら
関東で、一緒にライフスタジオをやることになって。

私のできる限りのこと。
新松戸には
恵比寿店と同じくらいの思い入れを持って、かかわってきて
オープンのときは、私も店舗にスタッフとして入って
とても、新鮮な時間を過ごした。

久し振りの店舗での毎日。
スタッフの教育だったり、やることはいっぱいあった。
だけど
私自身が特に努力をしなくてもできること。
だから、
そんなことをしにいく理由があるのかな・・・・って
毎日毎日、自分の役割分担を、必死で考える。

だからきっと、
撮影に、たくさん入った。
裏方で、
自分が抜けても大丈夫なようにシステムとか、いろんなことを教育するのではなく
私が感じる、お客様とのつながり。
私が思う、関係性の作り方。

自分の店舗以上にたぶん
そこに、思いを持っていた理由。

ライフスタジオに思いをもって
オープンしたときの思いを、共有できる相手がいるということ。
私はオーナーだから
恵比寿では、必死でスタッフにそれを求めてた。
だけど
新松戸では、私がスタッフだったから
必死で、一致させる努力をしたんだと思う。
ちょっと笑えるくらい、わりと必死だったんだ。
撮影も必死
だから、お客様との会話が、とてもとても忘れられなくて
青山を最初にオープンしたときのドキドキを、本当に思い出した。

自分のスタジオのときとは違うドキドキ。

それってきっと
誰かと一緒に、何かをしているという、思いなのだと思う。
ただそれだけなのだと思う。
ライフスタジオって
こうだよな・・・・・って
大切なのは、これだった・・・・・って
そんなことを、思う時間を、過ごした。

うまく言葉にはできない。
きっと、言葉にしても、人によって伝わり方が違う。
そんなの当たり前。
だけど
このときの感情は
本当にうまくはなせないんだ、いつも。

思ったことは、自分に、もっと素直になろうということ。
ライフスタジオでやりたかったこと。
きっとこれだったんだって、思ったの。
だから
私が悩んできたいろんなこと
きっとそれは、とてもとても、単純なことで
そんなことは、重要じゃないんだということ。

それはきっと
ライフスタジオであるべきとかそういうこと。
名前の問題ではなくて
思いの問題なのに
何かに執着して、固執して、自分の中のしがらみを、もっともっと強くして
自分でその鎖を強く強くしていって
がんじがらめになっていたんだと、思ったんだ。

毎日
いっぱい笑った。
そして
毎日、とてもとても充実をして
楽しかったんだ。
久し振りに、素直になって
楽しいと感じて
自分のおかれた環境が、とても恵まれているのだということを、知ったんだ。

いろんな人の支えがあって
こんな環境で、私は何かを得ることができて
それは
1年以上苦しんできた何かに対する、答えのような、そんなものだったのかもしれない。
そんなことを思って過ごしてた、毎日。

寒くなって
夏のインテリアがうそのように
とってもとっても寒い冬。
笑って、過ごそうと思ったんだ。

李社長から電話がきて
たくさん
泣いた。
たくさん泣いて、自分の思いを伝えたのも
新松戸にいたときだった。
でも
李社長に対して
素直に、冷静に、自分の考えを話せなくなってた時期だったから
とても久し振りに、すっきりと、
前を向いている自分を確認しながら、話をすることができたんだ。

日々の変化は
いろんな決断に
とても大きく作用するということ。

あまりにも大きくて
あまりにも大切なことを
たくさんたくさん、学べた期間。
ライフスタジオをやってきて
いいものをつくったな、なんて、思ったりしてたんだ。

 


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13. 4月1日@75c全店舗

2010年、4月1日。

ライフスタジオ恵比寿店、オープン日。

決意して
準備して
いっぱい泣いて
いっぱい悩んで
それでも、なんとかかんとか、オープンの日を、迎えた。

家から歩いて出勤。
4月はまだ、寒い。

だけど
あの日の朝のことは、割と鮮明に、覚えてる。
とても、風が強く吹いてた、朝。
お天気もよくて
電話をしながら、店舗に向かった。

朝一番に出勤をして
いつも一緒にいたスタッフたちと顔を合わせる。
なんだかスタートのときって、意味もなく照れくさかったりする。

すでにオープンパーティーをしたりしてたから、特にこの日が特別!ではなかったのかもしれないけど
やっぱりオープンの日は、何かがちがくて、ドキドキした。

今となってはそうだっけ???と思うけど
最初の3ヶ月間くらいは、すぐに予約が埋まらなくて
4月だからどこの店舗でもそうだったけど
女の子しか撮らないとか
七五三は撮らないとか、そういう理由で予約が埋まらないのかな・・・・とか
いろんなことを、日々考えた。

お花もいっぱい届き
なんだか、くすぐったい気持ちでいっぱい。

お花を贈ってくれた人たちとのいろんな日々を思い出したりして
それくらい
人には、時間を割いてきた。
とても、大切な時間を、たくさん共にしてきた。
そんな人たちの思いを、感じたからだったのだと、思う。

4月から、7月までは
土日の2日間、店舗で撮影に入った。
久しぶりの店舗。
久しぶりの、撮影。

ワカコ店長と、足立さん、妙子、私の4人での、スタート。
新しい試みをたくさん、はじめて
試行錯誤の毎日。
すぎてしまえばあっという間で
ああ、そうだったね
あんなこともあったね・・・・なんて、笑って話ができるけど
そのときはいっぱい怒って、いっぱい泣いて
いっぱいいっぱい、悩んだ日々。

スタッフが新しく入ってきたり
新松戸のオープンが決まって自分が抜けたり
今まで1年半。1年と、5ヶ月か。とっても、いろんなことがあった。

経営者になって、学んだことはきっととてもたくさんあるのだけど。
私が一番学んだこと。

自分が部下としてできていた部分と
全然だめだった部分が、とてもよくわかるようになったこと。

学んだというよりは
わかるようになったと、言った方がいいのかな。

きっと生涯悩んでも答えがでなかっただろうな、と思う、その部分は
私には、とても大きな気づきだったように思う。

社長の言葉が、心に響く。
いまさらだけど
社長からの大切な言葉が、たくさん、思い出される。

私は、自分が経営者になってはじめて
社長からのたくさんの言葉が、実感できるようになった。
恵比寿店を出して、一番、価値があったと思ったことは、たぶんそこ。

時間は、すべての人に同じように流れていて
すべての人に、平等なのは、もしかしたらそれだけなのかもしれないなと、思うことさえある。

その時間を
どう過ごしていくのか?
どう使っていくのか?

いろんな事を、犠牲にしてきてるように思ったり
悩んだり
そんなことの繰り返しなんだけど
人生は、そんなに悲惨なものではないと、思う。
きっとそんなことを
はじめて実感できる、そんなきっかけ。
それが、恵比寿店のオープンだった。

休みの日
何かのときに突然店舗に寄ったりする。
だれもいない昼間の恵比寿店。
夜の、恵比寿店。

私は、あの場所がとても好き。
自分の思いが、全部詰まってる場所だから。
そんな場所が増えていくこと。
それが、私の人生を、もっともっと豊かにしてくれるのだと、思う。

 

 


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12.恋するマドモアゼル@75c全店舗

2009年に恵比寿店のオープンを決意し
引継ぎと
それからこれからの新しい店舗のためのいろいろな準備をしていった。

その中で
11店舗目になる恵比寿店を、どんな店舗にしていきたいのか?を
ひたすら考え、イメージする日々が続いた。

私が作りたい店舗の形。

イメージしていく中で具体的なモデルのような、そんな存在が頭をよぎる。
こんな人に、お客様としてきてもらいたい・・・・

そこからはイメージの広がりが、早かった。
だからどんどんスタッフたちに話をした。
そしたら
スタッフたちとの会話の中で、さらにいろんな決意ができた。

女の子専門スタジオ。
恋するマドモアゼル。

最初は恋するマダムだったんだけど
マダムだと、すごいご年配の人を想像するといわれ・・・・
マドモアゼルに変更(笑)

男の子は撮らない。
それから
七五三も、撮らない。
だって、イメージはマドモアゼル=パリジェンヌだから
着物が似合うクローゼットを作り出すことができないから・・・・
そんな理由だった。

それだけじゃない。
スタッフたちの仕事を極力簡素化したかった。
美容スタッフがいればいいけど
一緒に働くスタッフたちには美容が専門でできるスタッフはいない。
他の店舗だって着付けとか美容はいつも外注でお願いをしてる。

その手配とか
その労力とか
そういうのをなくしたかった。だから、抜いてしまうことにした。

すごく新しい試みで
それで予約がうまるのかどうかも心配だった。
お客様からの不満の声も出るだろうなと思った。

だけど
私はお客様のニーズすべてにこたえていくことはできない。
それに、スタジオの予約そのものがマックスの人数が決まっているだけに
どうやったってひとつのスタジオで増やせる最大数を超えてしまうのに
より専門的で
よりこだわりの強い、そんな場所を作りたかった。

ここで、撮りたい。
ここの、コンセプトが好き。

そんなお客様に来てほしいと思った。
だから、そう決めた。

決めてからはいろんなことが早かった。

ずっとためていたスクラップを掘り起こし
不動産の図面を見ながらコンセプトを決めていく。
今までやりたいと思ってたことがたくさんあっただけに
統一感を出して、イメージを落とし込んでいく・・・・・

何度も店舗に足を運んで
そこでぼーーーーっと、イメージを膨らませたりした。

不動産が決まるまでも、いろんなことがあって
そんなに簡単ではなかったんだけど、必死だった。
とにかく必死。
いつもと、他の店舗のときとそんなに大きく変わることはないはずなのに
すべてにおいて、私が決定をしなくちゃいけないこの、プレッシャー。
自分で想像している以上だったから、自分でもびっくりした。
だけど、それが普通。
きっと、だれでも通過している普通のことなんだと思う。

独立することの意義というかなんというか
社長の下で何かを提案してきたときとは、全然違うんだということを
不動産契約のときに初めて感じることになった私。

そんなことの積み重ねできているのだと思う。

2月からインテリアをはじめ
4月1日にオープンすることが決まり
始まってしまったら、もう後にはひけない。
そして、
始まってしまったら、ゆっくりと考える時間はないことは、知ってた。

だから、
決定してから始まるまでの数ヶ月が、本当に大切だったんだと思う。

準備をすることは決まってる。
何度もやってきた。
だけど
何よりも大切なこと。
それは、私が初心にかえったとき、本当に思い出すべきものが何なのか?
私はいったい、何を思うのか?

その部分が、私の中で明確であれば
きっと大丈夫なのだと、思ってた。
だから、自分を安定させることが、とても重要だった。

2010年に入り
1月に、パリに行った。
初めてのフランス。
6泊7日だけど、ノープランのパリ。

一緒に行ったメンバーも
なんとなく、成り行きで、一緒に行くことになって。
そんなスタートがなおさら、パリ旅行を特別なものにしてくれた。

フランスの女の子をイメージして作る店舗。
フランスに行って、見て、感じたこと。
たぶん、うわべでしかない、最初の旅。
だけどそこで感じた私のインスピレーションみたいなものは
きっと、あのタイミングであったからこそ、可能だったのだと思う。

そんな風に
自分の決定と
自分の行動と
それから、自分のこれからつくっていくものが一致している感覚を
自分で決めていけるということ。
それが、私の得た、最大のメリットだったのだと思う。

まだどうなっていくのか決まっていない中で買い付けた、小物や衣装たち。
私のこだわりと
私のシュミだけで集まってきたそれらは
恵比寿店のいろんな場所に、準備されていたかのように、しっくりと、はまっていった。

誰になんと言われようと
私が、そう感じている
とてもとても、大切な、ものたち。

 


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11.私の中の変化@75c全店舗

いつからだったのか、私は仕事をしながら‘楽しい’と、思わなくなった。
思わなくなったのか、思えなくなったのか
何に不満があるのか
何が不安なのか
何が変わったのか
自分では、全然よくわからなかった。

会う人会う人に、仕事が楽しいなんてうらやましいと、いつも言われた。
私もそうだなと思って
本当に幸せだなと思ったりしてた。

たくさんの変化が一気に来るわけではないように
私の中の変化も徐々に徐々に起こっていったのだと思う。
日々、何かに不満があるわけではなかった。
だけど、なにか違うような気がしていた。

店舗も増えて
人数も増えて
いろんなことがとても、組織的になった。

新しい試みについての話があるたびに、その先にある何かしらの変化に
不安と、期待と
そんなことの繰り返しの中で過ごしていた。

休暇をとってゆっくりして、もう一度自分を取り戻すために必死になったりもしたし
ただ漠然と、なんとなく過ごしている期間は、なかったようにも思えるんだけど
それが何なのかは、私もよくわからなかった。

社長と一緒に過ごす時間も以前よりはだいぶ減って
時々会うときには、何を報告するべきなのか、少しずつ悩むようにもなった。

その頃母親の病気が発覚したりして
精神的にとても不安定な時期が続いた。
人には言えない、言いたくないいろんな感情が私の中でグルグルと回ってた。
だから、もう続けていくのは難しいのかな・・・・って、思ったりもしてて
一度そう思うと
なかなか前向きになるのは難しかった。
社長にも、そんな気持ちを伝えてみた。そのときは、メールだったんだけど。

その頃の詳細は、
いろんなことがありすぎて正直、詳しくは思い出せない。
割と、自分の精神状態がひどかったからか
思い出したくないだけなのかもしれないけど(笑)

いろんなことがあって
いろんな決断が必要だったんだけど
社長が自分の店舗を持つように、提案をしてくれた。
前から、恵比寿に思い入れがあった私。
恵比寿に本社を出そうと何度も言っていたんだけど
だから、
恵比寿に自分の店舗を出して、独立したらいいと、薦めてもらった。

そんなことがめまぐるしく起こってた時期だったから
その間に日進とか、浦安とか、いろんな店舗がオープンをしてたのに
私は、社長に娘の写真を撮ってほしいということができなかった。
私の中ではそれが本当につらくって
国分寺のオープンのとき
本当に久しぶりに、お願いをした。

それが、この写真。



自分の子供だから、当然どれもものすごくかわいいんだけど
かわいいとかそういうことよりも
私の中で、何かが変わった日だったように思う。




ただ撮影をお願いするだけのことだと思うかもしれないけど
私の中では、そんなに簡単なことではなくて
新しい店舗だから撮影をしてほしいとか
たぶんそんなことでも、ないのだと思う。

社長と今まで、必死で仕事をしてきて
自分の中にある壁をなんとか越えたいと思ってた。
どうしたらこえられるのか、そんなことはまったくわからなかったんだけど
それでも
社長の提案を、ありがたく受け入れたいと思った。
だから、恵比寿に店舗を出す決意をした。
それが、私にできる最善だと思ったから。

 


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10.最初の変化@75c全店舗

2号店のオープン後
私たちは大きく変化したように思う。

郊外でも可能なビジネスモデルだということ。
自分たちである程度の工事が可能だということ。
所沢店のビフォーアフターが大きな証明になること。
撮影の幅が広がったこと。

他にも
本当にいろいろな面で、内部に集中していこうという方向性ができていった。
フランチャイズも
もともとは知り合いや、お客様や、スタッフや
私たちが準備して展開をしたというよりは
最初から必要に応じて展開がなされてきた。

だからその後の水戸店、名古屋店
そして成城店、横浜店までの店舗展開が急速に進んだ。

成城店のオープンは2008年5月。
私のバースデーに、娘の写真を撮ってもらった。



お気に入りの、1枚。
この写真をみて、ずいぶん丸みが落ちたなあと思ってたけど
そうでもないですね・・・・・・・・・笑

横浜店での撮影は
まさに子供の心を捉えていて
娘が遊びたくて仕方なかった。

それを押さえ込んで撮影をすすめた。



この日
久しぶりに社長に撮影をしてもらった。
横浜の店舗は
広くて空間的にはとてもすばらしいと思ったし
私たちが今までやったことのないいろいろなインテリアが作られた。
とっても新しくて新鮮な気持ち。

撮影の日は
ちょうど2件の撮影が重なってて、社長が忙しく撮影をしてくれたんだけど
全部の部屋で撮影しようといって始めてくれただけに
時間が押したりいろいろあったんだけど
それでも
社長が思いをこめて撮影を進めてくれているのが、とてもよく伝わってきた。

娘も大きくなって
いろんなことを、指示通りにしてくれるようになっていた。
大きな変化を感じ
とても、心に残る撮影になった。

横浜店のオープンのときは
スタッフの人数もだいぶ増えて
第三次世代とも言うべき、新しいスタッフたちがたくさん入ってきた。
全体ではこの辺すべて一くくりになってるけど
私の中では第二世代は所沢のオープンを、共にスタッフたちまで。

たくさんのスタッフがやめていったんだけど
それでも、
そのときの教訓が、私にはたくさん残っている。
スタッフを育てるということ、
人との関係をつくるということ、
大切なところにポイントをあわせるということ
そういういろんな部分を、真剣に考えるようになった、とても大切な期間だった。

だから2008年の後半から、全体で会議をするようになったし
そこで本を読んで討論をするようになった。
まだ店舗も少なかったし
本社の人数が圧倒的に多かったし
いろんな意味で統一して進めていくことが容易だった。

本を読んで討論・・・・という形式も、難しいけど、とてもいいことだと思った。
みんなが1冊の同一の本を読んで
同じ題材に対しての話をすることによって、考えの違いとかが、明確に見える。
だから、とても希望を持って進めていた。

2009年からは私は全体の教育担当になって
以前まで受け持っていた総括の仕事と同時に、教育により力を入れるようになった。
だから、
当初は3~4人で進めればいいと思っていた教育チーム。
毎週火曜日に集まりをもっていくという、かなりハードなプログラム。
そこに、なんと10人のスタッフが参加してくれた。
名古屋からわざわざ自費で集まりに参加してくれるスタッフまでいた。
そこで様々な試みがあったし
とても、特別な時間だったように思う。

そして途中
コーディネートとかにもっともっと力を入れていきたくて
コーディネートの教育なんかをしたりもした。

そのときにモデルとして娘や娘の友達を使ってもらい
斬新なコーディネートでとっても楽しい撮影のひと時を過ごしたりした。

そのときに七五三の髪型とかもいろいろやって
友達と一緒に写真を撮ってもらったりもした。



七五三の写真ちゃんと撮れなかったけど
2歳9ヶ月で撮った、コンサル先での七五三と
4歳になってから撮った、コーディネートのモデル撮影。

それでも時間がすぎてしまえば
実際にそのとき何歳だったかなんてあんまり関係なくて
やっぱり、かわいい。

スタッフもみんな、とてもよくしてくれるから
娘はスタッフが大好きで
よく家に遊びに来るスタッフと遊ぶのが大好きだったな。

自分の仕事にも少しだけ余裕をもってできるようになって
この頃はやっと、日曜日とかお休みちゃんとして、娘と過ごせるようにもなってた。

 


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9.2号店のオープン@75c全店舗

一気にオープンまでのことを思い起こしたら
これだけ書いても書ききれないほど
本当に毎日毎日ものすごい、濃厚だったんだと、改めて思う。

すぎてしまえば‘いろいろあった’で済まされてしまいそうなこと。
だけど
その‘いろいろ’こそ、私をつくりだす大切な要素なんだと、思う。

青山での日々、
そして2号店は、所沢。

2号店をオープンしようとした経緯もまた普通じゃなくて、
いろんなお話をもらって、その話がものすごくいい感じで進んでいるように感じていて
だけど
最後にまた、同じように
何らかの理由で流れたんだった。

そのときはちょうどコンサルティングをしたりもしてて
東京と静岡、名古屋を行ったりきたりしていた。

‘じゃあその次は?’
それが、いつも社長の口癖みたいなものだった。

この先どうするのか?
どこに向かうのか?
どんな人に出会うのか?

いろんな話があって、そこに集中してその先をイメージしていく。
たくさんの提案もして
その中で自分たちが実現可能なことを考える。

翻訳をしながらいつも思った。
いつもいつも、提案が新しい。
だから、読んでてすごく、楽しい。
だけど、すごく新しいのかなんなのか、
固定概念なのか何なのか
‘あなたと一緒にやりたい’と言われ、それにちゃんと答えたくて準備をしても
結局はなくなっていく。

まあ、ビジネスなんてそんなものなのかもしれないなと、今は思う。
そんなに簡単にいろんなことが決まっていくものではないのかもしれない。
それなら
私は、少なくとも私が社長に出会って過ごしてきた間のいろんな決断は
割と早い決断で社長にとっては、割とよかったんだろうなって、思う(笑)

そんないろんなことが、そのときもあって
2号店を出そうと、自分たちで決めた。

思い起こせばこの2号店の準備をしながらも
また、同じように不動産周りを1ヶ月以上もして
どこの地域に出そうっていうのが全然決まってないと
不動産めぐりも本当に果てしない・・・・終わりのないゴールを目指す・・・的な感じ。
だけどもう、不動産にはいっていう言葉とかは完全に覚えてる感じになって
私たちもなれていく。

この頃は私以外にもスタッフがいて
最初の頃は全員韓国語OKのスタッフたちしかいなかったから
順番に不動産を回った。

順番っていっても、メインは妹だったんだけど
ある日妹と一緒に不動産を回ってる社長から電話がかかってきた。
なにやら所沢のほうでいい物件があってそこを見に来てるんだけど
ものすごく気に入っている様子。
部屋数も多いし原状回復もいらなくて
こんな物件めったにない・・・・といってる。

でも場所を聞いたら、まあ、そこはないかな・・・くらいにしか思ってなかった。

だけどご存知のとおり、2号店はここに決まった。
最初にこの店舗を見に行ったとき、廃墟だったこの物件は、本当にすさまじかった。
社長以外の誰が、この物件を見てワクワクするのだろうか・・・・

娘を連れて行った私は、玄関を開けた瞬間驚いて
娘を玄関先にとどまらせ、妹に見ているように頼んだ。
夏だったので、タオルを片手に口を押さえ
恐る恐る、中に入っていった。

あらゆる荷物がそのまま置き去りにされ、そのまま何年放置したら、こんなにほこりってたまるんだろうな・・・・と、思う。
あんな家(ごめんなさい)はじめてだった。
契約したらここは片付けてくれるという。
そりゃそうだ・・・・と思う。

物件を見て
当時スタジオにいた4人と、娘と、社長と、私で、バーベキューに行った。
そこに行く途中
あの物件の何がメリットかについての話。
うんとはいえない、なんともいえない気持ち。
でも、数日後にメールで報告書が届いた。

社長の中ではすでに決定していた。
あの物件を、どんなスタジオにしていくのか。
デメリットは、場所のみ。

だけど、それが必ずカバーできる。
私もそう思う。いつかは、カバーできるはず。
どれくらいかかるかは、わからないけど・・・・そんな、気持ち。

社長の決定により、事が進むのは早かった。

銀行や国金やいろんなところに回ってお金を借りる手続きをした。
これだって生まれてはじめてのこと。
相場とか、常識とか、いろんなものがない私(笑)
担当者にびっくりされただろうなと、今は思うけど
とにかくお願いをした。
金額だって、これくらいが限界と言われながらも
いやいや、お願いしますといって倍にしてもらい
その審査だって、なんとか通ったから軌跡だなと、われながら思う。

私には神様がついてる。
そんな風に自然に思う。
それほど、奇跡的なことが続く。笑

決定して、インテリアが始まる。
韓国から力強い夫婦が、スタッフとして来日した。
社長と、2人と、妹のほぼ4人で工事が始まる。
私は、そのほかのことを整えるべく、毎日必死。

部屋の割り振りをしていく。
そして
お部屋を壊してひとつにすると言い出し、それなら不動産やに一度連絡して下さいと伝えると
もうやってしまった後だったりする。

不動産に電話をして、わびる・・・・・

でも
「あ、いいですよ、家が壊れなければ」

あ、そんな感じなんだな・・・・いいな・・・・笑

それぞれの部屋の、大まかなイメージが決められていって
私は、衣装室と、美容室の2つの部屋を任せてほしいと、お願いをした。
青山のオープンのとき、何もわからずに社長に落胆されたことを覚えてる。
もっとちゃんと準備をして
もっとちゃんと、認められる何かを作りたかった。

着々と進んでいく工事。
たまに顔を出すと、私が担当している部屋だけ何も進んでいない。
私が支持を出さないから、何も決まらないんだ。
頭の中にあるイメージを形にしていくのは、簡単ではなかった。
だから、大まかな工事・・・・こういう感じの板をひいておいてもらうとか、
こういう壁をここに立てておいてもらうとか
そういう感じで支持を出す。

どのくらいの厚みで?
どんな素材で?
どんな高さに?

そんな質問されても、全然わからないから、適当に答えるしかない。笑

それができて、また店舗に行く。

その後は、イメージがあるだけだから、ひたすら自分で塗ってみる。
ペンキを薄めて、スポンジで叩き込む。
かわいたら、また繰り返し。

そんな風にして、できた。
今はもう所沢もだいぶ内容が変わってきてるけど
最初、美容室だったその部屋は、青山の、当時のモニター室みたいな雰囲気がお客様に人気で
私もすごくいいなと思ってたので、そのイメージの、ナチュラルなお部屋。
そして隣の衣装室は
基本的に撮影をしない部屋だったから、完全に私の好みでダークグレーを縫ってもらった。
天井も、全部。
そして床も、こだわって画像を見せたりしながら、知り合いの、今もずっとお世話になってる
ペンキ屋さんにお願いして、素敵な床に仕上げてもらった。

リサイクルショップを回り
フリーマーケットを回り
ギフトショーに行き
そんな風にしながら、準備を整えていった。

スタッフだって募集しなくちゃいけなかった。
だけど、まだ完全に無名だし
どこでどんな風に求人をしたらいいのかわからず。
美容部員がなかなかいなくて
どうしたらいいのかわからなくなって、涙が出たりした。
最初のオープンとは全然違った悩み。

どうしたらいいかわからないし、困ってしまってゆっくり考える時間が必要に思えた。
だから、突然思い立って青山店に泊まることにした。
でも、化粧品がない(笑)
ちょうどいろいろ買い換えたかったしナ・・・・と思い、渋谷に出る。
なんとなく・・・フラフラ歩いてたら声をかけてくれた美容部員さんと仲良くなって
フルメークをしてもらった。
テンションがあがって、気分が楽になった。

店舗に戻り、パソコンに向かう。
とにかく、やれることをやってみよう。

mixiに入り、求人募集にいくつもトピックをあげた。

そんな風にして、できていったスタジオ。

オープンのパーティーは3回にわたった。

最初は、私たちの家族が集まり
次は写真館関係の人たちを招待し
そして、仲良しのお客様。私たちがファミリーと呼んでいる、お客様を3日間にわたり、ご招待。

今思えば本当に初期の初期。
今一緒にスタジオをやってくれてるいくつかの店舗も、そのとき所沢に来てくれていた。

水戸、名古屋、横浜、新松戸・・・・・・あの時は、そんな展開全然考えてもなかったのにね・・・・

青山店が、ちょうどこの頃から安定し始めた。
予約も徐々に、コンスタントに入り始め
それまでのお客様すべてに、DMを送った。
2号店のオープン。
心をこめて、すべてのお客様のデータから1枚ずつ写真を選び、
その写真を透明の袋に入れて、住所をはり
そして案内と一緒に、郵送をした。

社長の、気持ちが伝わる。
お客様一人ひとり、すべて違うお客様であって
大勢のお客様のうちの一人・・・のような扱いはしない。
だから、ものすごい労力をかけて、全員、すべてのお客様に、お客様の写真を、送る。

2号店のオープン時
来店してくださったお客様は90%以上がリピートのお客様で
ちょうど1年前に私が担当させていただいた方が多かった。
だから、ものすごい嬉しかった。
成長も見れるし、喜んでくださってるし
青山よりも数倍大きな規模で、中に入っただけではすぐにその大きさがわからないつくりなだけに
移動のたびに、お客様から感嘆の声が響く。

伝わった。
私たちの思いは、伝わった。
そう思った。

広い店舗。
朝の掃除だけでも結構大変。
だけど、毎朝一緒に飲むコーヒーが、とてもおいしくて
大好きな場所が、またひとつ、増えた。

オープンして最初はリピートのお客様が年末にむけ、たくさん来てくださった。
だけど
年越しをしてから半年間は、本当に厳しい時期だった。
スタッフの入れ替わりがとにかく激しく
自分たちで作ったチラシを毎日駅前で配ったり、近所の家に配布して回ったりしてた。
青山が少し安定してくれたおかげで
2号店の売り上げをそこまで大きく気にしなくても、なんとかやっていけるだけの余裕があった。
ありがたい。

大変な中を必死で切り抜けていくのは、
精神的にも本当に疲れる。
だけど、
青山のときは完全に孤独でやってきただけに
2号店は、それでも任せているスタッフがいて
私はサブで集客をすればいい状態だったからか、気持ちも楽だった。
日々、いろんな試行錯誤。
2号店でももちろん、mixiからたくさんのお客様が来てくれた。

ちょっとだけ笑えるエピソードだけど
娘がちょうど、七五三の年だった。
だから、所沢店に衣装を入れるとき、ふんわりドレスが似合わないと思った娘のために
私がデザインしたドレスをつくって入れていた。
みんなすごく喜んで
今でもスタジオの人気の衣装であることは間違いない。

お休みの日に社長と3人で店舗に向かい、
そこで、娘の写真を撮った。
私服での撮影は普通に楽しく撮影してたけど
いざ、ドレスを着させようとしたら、チクチクしていやだという。
娘は、極度の敏感肌。
特に肌に異常があるわけでも乾燥しすぎたりしてるのでもないんだけど
タートルもだから絶対に着ないし
ある日突然、洋服についているタグをはずさないと気になって着られない。
何度もイライラしてけんかになりそうなことがあったけど
まさかの、ドレス。

着物を嫌がる子供は多く見てきたけど
ドレスがいやだといって着れない子供は、初めてだった(笑)

あまりの驚きと、衝撃と、ショックと・・・・笑
お客様なら冷静に対処できるけど
わが子となると全然無理で、取り乱す私。

実はコンサルをしてたときに、一度、着物を着せて撮影をした。
それがかわいかったから絶対に・・・・と思っていたわけではないのだけど
それでも自分が作った店舗なだけに、もちろん思い入れがあるし。

衣装室で腹がたって思い切り娘を怒った。
そしたら社長が来てなだめられ
もう私の役目はコーディネートのみに、変更。
そのあとは、社長が娘と二人で撮影をしてくれた。

撮影中、落ち込んでる私だったけど
最後に写真をみたら、反省。
途中、「おまえが思ってるよりよく撮れてるから安心しろ」と、言われた。

すみません。
お気をつかっていただいて・・・・

そのとき撮った写真。



すごい好きな写真で
家にもフレームにして飾っている、お気に入り。

コンサルをしてたスタジオでその前に撮った、七五三。



そして、その後に撮った、名古屋でのお気に入り。



娘が嫌がって期待通りにならなくても
こうして振り替えってみると、本当にかわいい姿が、たくさん残ってる。
思えばあの頃は
仕事忙しすぎて
娘に怒ってばかりだった気がする。
いろんなことに余裕がなくて
だからきっと、撮影中もイライラしちゃったんだと思う。

何度も何度もそんな時期を通過して
今だからこそ冷静に思えることも、ある。

久しぶりに写真を見返して、
写真のもつ思い出の深さと、その感動に、改めて、浸ってみる。

 


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8.オープン@75c全店舗

いろんな常識不足と
負けず嫌いな性格と
あったかい周囲の手助けと
それから
かなりの強運のおかげで、いろんなことが、可能になってきた。

改めて思い起こすと 
何がすごいって・・・・・
だまって(は、いらっしゃらなかった気もするが)
見守っててくれた社長がすごいなと。

そして
私のことよく理解してるんだなと、思う。

スタジオメモアのオープン。
2006年の、12月。

年賀状用の撮影します~ってお客様を送ってもらい
そこからはじめた、スタジオ撮影。
なんとかかんとか無理やりな感じでオープンまでこぎつけた?!けど
当日
ふと思いついた・・・・おつりの用意がない・・・・

だけどまだ、口座もできてない。
だから、お振込みをお願いします。って、ことになった。
それも、口座ができたらご連絡します・・・って(笑)

お客様はただで年賀状の撮影ができますよ~って来店してくれて
撮影して
なんだかよくわからないまま、モニターして
喜んでもらい
原本を買ってくださった。

初日は全員データ買い。
かなりの緊張。
だけど
社長の撮影だったから、私は自信をもってお勧めする。

衣装だって全然なかった。
インテリアも
ほとんどないに等しい空間。

やれるだけのことを必死でやって
こんな空間で
こんなものが作れるんだって
カメラのこととか全然知らない私は、モニターのたびにドキドキしてた。

かわいい子供たちが毎日来て
日々、緊張。
そして、ホームページの写真も素敵な写真がどんどん増えていった。

なんだか毎日ドキドキしているだけに
毎日とっても幸せだった。

娘が韓国でいなかったから
同じくらいの年の子達の撮影をするときは
なんだか泣きそうだった。
娘の写真を撮ってもらいたいな・・・・毎日そんなことを思いながらの時間を過ごした。

そして、次の難関がやってきた。

予約を取らなくちゃいけない。

年賀状の撮影は50件くらいが来てくれた。
だけど、その先は?
その人たちが次に撮影に来てくれるまで待っているわけには行かない。
だから、営業をして来いといわれ
最初に作った撮影無料券みたいなものをもって、町に出る。

もちろん置いてくれるところはたくさんある。
だけど
すぐにお客様が来てくれるはずがないから、なんとかしないといけない。

広告うつほどのお金はないし
どうしよう~~~~~

こうみえて、営業嫌いな私。
A型なんです、私。
断られるの、無理なので
接客は、かなり得意。だって、私がいるところに、望んで入ってきてくれてる人たちだから。
だけど、何も知らない人に自分から行って、断られるのは、割ときつい。
というか
かなり、きつい。

だけどそんなこと言ってられない。
スタジオにいると
社長に言われる。何をしているんだと。

日本語しゃべれるの私だけだし、そりゃそうだよね・・・・・・・・・

眠れない日々が続く。
どうしよう・・・・
どうしたらいいんだろう・・・・・・

とりあえずできることは、友達を呼び集めること。
そこで、社長に写真を撮ってもらった。
たくさん友達が来てくれて
写真を撮った。
そんなことを繰り返していく中で
バイトしてたときの店長が来てくれた。

「こんなの、mixiで宣伝したらすぐだよ~」

mixi。
登録だけして、全然触ったことない。
だけど、それならやってみようかな。
営業いくのやだしな・・・・

なんて
そんな気持ちで、毎日毎晩
mixiを触ってみる。
よくわからないまま、コミュニティに参加してみる。
そして、イベントを立ち上げた。

次の日からものすごい、電話。
「mixiのイベント見たんですけど」

はあ。
一安心だ。
これで、年内の予約は全部埋まった。
なんてすばらしいの、mixi。
そして、店長愛してます。

火曜水曜がお休みだったけど、毎日お休みなしで予約を入れた。
たくさんのお客様が来てくれて
みんなとても、喜んでくれた。
マイミク申請が来たりして
とても、嬉しいことだった。

年明けは3日から営業にして、
2日間は休もう~っていってたんだけど、
休みの日にイベントして、当日の売り上げを分け合うのはどうだという話になった。
なんだか楽しくなって盛り上がり
お正月も営業。

お正月の2日間はいつもよりも売り上げが断然よくて
私はその日2日間の営業でスペシャルボーナスをいただいた(笑)
2日の夜は
みんなで食事に行って
私のおごり~

楽しい日々。

そして、待望の、娘の帰国。
迎えにいけなくて、母親が連れて帰って来てくれた。
空港に迎えにいったとき
娘は私をみて両手で顔を覆った。
嬉しくて、顔を覆って喜んだ。
泣けた。

お休みの日に、娘を連れて撮影に行った。

その頃はスタジオの1階に住んでいた社長。
特別連絡しないで行ったんだけど
着替えをすませ、裏で仕事をしていた私。
簡単に撮ってもらうつもりでつれていったから、1回目の着替えで終わりだと思ってた。
そしたら、着替えを4回もしてくれて、
しかも、まだ撮ってるの?と思うくらい
しっかりと、撮影をしてくれてた。

モニターをする前に、言われた。

「オレはあいつが好きみたいだ・・・全然削除ができなくて、すごい枚数になった」

え~嬉しい~~なんて思いながらの、モニター。
枚数は
まさかの200枚超え。

私、正直割と娘の表情とかいろんな部分をシビアに見るから
原本とか買わない派だと思ってた、自分のこと。
だから、お客様が厳選して数枚買っていきますというと
そうですね、って、どこか納得してしまう部分もあり。

だけど、本気で選べないと思い
娘の写真をみながら、心から、幸せだった。

社長からのメッセージを感じた。
それも、嬉しかった。



この写真は、私の本当にお気に入りの、1枚。



社長の写真が、本当に好き。

いっぱい泣いて
いっぱいがんばった。
このために、っていえるほど、大切な、思い。

そんな気持ちでいっぱいだった。

 


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7.新しいスタート@75c全店舗

最初はあんなに怪しいと思ってた行政書士様様で
入国可能になった社長。

そして
準備を進め
最終的にビザが下りるまでの期間がどれくらいだったのか、覚えてないけど。

でも
無事にビザが下りて
社長にその連絡をしたときのドキドキ感とか、すごかった。

いざ、ビザが下りて
社長の入国日が決まったときに
私は韓国にちょっと別の用事で行くことになった。
それを社長に行ったらね、社長から言われた言葉。

「明日韓国に来たら話があるから」

「え?なんですか?」

「来たら話すから」

「まさか結婚するんですか?」

「いやいや・・・・」

そんな会話。
この場に及んでなんだろう。
いきなり日本行かなくなったとか??そんなはずないし・・・・なんだろ・・・・

割と気にしいなので、私。

教えてくれないなら、今話しがあるとか言わないでほしいわ・・・
明日会ったら言ってくれればいいのにね・・・・

なんて。

そして次の日
会ってすぐに聞いた。
全然検討がつかなくて、考えてもまったくわからなかったから
余計に気になった。

「昨日の話って何ですか?」

「ああ、サガナムやめることにした」

え?
今なんて言いました????

「サガナムやめることにした」

なぜ??

日本に帰ったらゆっくり話すけど。

なんだそりゃ。

でもそのときは、私、別にどっちでもいいというか
まだことの深刻さに全然気がついてなかった。

やめるときの条件に
私は社長と一緒にやめることになってたから
まあ、それならいいかなと、漠然とそんな風に思ってた。


社長が韓国にいる間
9ヶ月だったんだけど
日本ではいろんなことがあった。

まず、デザイン室を立ち上げてて
事務所は恵比寿だった。
恵比寿4丁目。

私が恵比寿が好きで
だから、恵比寿で探した。
ただそれだけの理由。

マンションの一室をデザイン室というか、事務所にしてた。
そこに、韓国人の、日本語のしゃべれるスタッフが一人住んでた。
そして共同オーナーの一人も日本にいて
私がいて
日本でデザインの学校に通ってたデザイナーの女の子が一人。

そこでわりと、十週箇所のデザインオーダーとか受けながら、仕事をしてた。

その間に
いろんな人が社長の写真に興味を持ち
社長にあいたり
いろんな可能性がたくさんあった。

日本に社長が入国したら
どれをやろうかと、イロンナ話をしていた。
だから
入国後はものすごく、忙しかった。
いろんな人に会いに行き
いろんな可能性を見つめながら
過ごした。

だけど
最後にはいつも、でもな・・・・韓国でいくらうけてもここは日本だし・・・・

なぜか、そんな感じだった。


業界のこととかまったくわからないし
経営とかもわからない。
だけど
普通に日本で子育てをする母親として
絶対に、うけますから。

そういいたかった。
センスなすぎる。みんな。
なんなの、人のことなんだと思ってんの。

散々盛り上げておいて
最後にその切り方。

今思えば、笑えるくらい、絶望感みたいな。

恵比寿にいたから
社長と、よく恵比寿を歩いた。

この物件いくらだと思う?
ここでスタジオやるならどういう内装になると思う?

いつもそんな質問。

全然わかりません。

私の答え。笑

もう、毎日そんな感じで
社長はやる気満々で入国してる分
どんどん、気持ちが焦る。

ある日思った。
自分たちでスタジオ出しましょう。

っていってるけど
私は、何もできないのだけど。
お金もないし、何もないし、何もわからないのだけど。

でも
もう屈辱的すぎてなんだか耐えられなくて。
なんなの
それなら絶対自分たちでやって成功するから
あとから後悔しないでよ。

そんな気持ち。

8月にそんなこと言いはじめて
9月くらいから不動産を回り始めた。

イロンナ場所。
本当にイロンナ場所に行った。

郊外というか
中心から離れたら、当然安い。
だけど、こんなところで人が来るのかな・・・

中心部で探すと
金額が高い。
こんなお金用意できるのかな・・・・
サガナム、やめちゃったしな・・・・

毎日そんなことの繰り返し。

社長は食事にうるさくて
本人曰く
うるさいのではないというのだけど
私が社長とけんかをするとき
半分くらいは食事関連だった気がする(笑)

ある日歩いてて、ランチは韓国料理がいいといわれた。
だけど、その近くに韓国料理があるのかどうか全然わからず
ひたすら歩きながら探したんだけど、なくて。

ないから、いろいろ見てて
どこにしようかな・・・・って、思いながら歩く。
そしたら、もうおなかがすいたし足も疲れたから、どこかに入ろうといわれた。
私に好きなところに入れだって。

だから、
近くにあったパスタやさんに入ろうといった。
そしたら、切れる社長。

いきなりすごいケンマクで怒るから私も腹がたって
「だったら自分で決めてくださいよ」と言い返す。

結局社長、ものすごい怒ってるし
私も毎日こんなんだから、もう限界なんですけど~~~

「じゃあもう好きなとこで食べましょうよ。ランチなんて毎日一緒に食べなくちゃいけないわけじゃないし。」

そしたら一言。

「バラバラに食べよう」

そして行ってしまった。

その後姿をみながら、悔しくて悔しくて、涙があふれてきた。
あまりにも涙が流れるから
気まずくて近くの駅のトイレに行った。
そこで、電話がなる。

「今どこにいるんだ」

「駅ですけど」

「じゃあ駅に行くから」

外に出ると社長が立ってる。
どうやら、私が聞き間違えたらしく、社長はバラバラで食べようとはいってないと主張。
私がついてきてると思って歩いてたのに
振り向いたらいないから、電話したんだって。

私が泣いた跡をみて動揺する社長。

気まずいし、微妙だし、私だって逃げ出したい。
こんなの生まれて初めてだし
もう少し気を使ってくれたっていいじゃん。
自分が好き嫌いありすぎなんだし、なんで私が怒られなくちゃいけないわけ?!

内心、こんな。

だけど
自分が私を置いて、バラバラに食べようなんて言う訳ないだろ・・・・と。

これからは
私の言うように、たまには別々に食べるようにしよう。
だけど
オレはまったくわからないんだ、日本の食事が。
どこに入ればいいかも全然わからないし
韓国ではパスタなんて食べるものじゃないと思ってたし
どうしてわかってくれないんだ的な。笑

そのあと
ラーメンを食べて(笑)
普通にまた、不動産見て回ったし。

もう、そんなのの繰り返し。
いい加減
いつまで不動産見るんだろう・・・・・
そんな感じ。

不安も多いけど
日々のなんだろ、積み重なるストレスというか
申し訳なさというか
そういう感じ。

不動産を回りながらも
スタジオの内装とかいろいろ
資料を探すように言われたり。
で、私なりに、いろいろやったの。
思いつくこととかは、全部。

だけど、会議をして
それを出したらやっぱり落胆されて。

「もうお前には期待しない。」

この言葉が
本当に痛かった。
悔しさと、腹立ちと
なんだろ、あんまり言われたことのない言葉。

だって
はじめてなんですけど。
どこまでが私の仕事なんだか全然わからず。
何を求められてるのか、全然わからず。

それと同時に、娘のこともこの頃には心配になって。
両親が仕事の関係で実家を離れ、遠くに住むことになった。
だめともいえず
私がそっちに行くこともできず・・・・という環境の中
果たしてスタジオができたら娘はどうなるんだろう・・・・・・って。

もちろん社長に相談もした。
だけど結局何もない。

不動産も同時に探す。
いい物件が見つかって
それは青山一丁目だった。

80万円。
だけど、最高。

ここにしようって、社長が言った。
テンションがあがる。

だけど、突然、現実。
保証人から始まって
いろんなことが現実的に出てきて
知識のない私。社会経験のない私。
初めてで考えたことないようなことがたくさん。

いろいろあって
社長に聞かれた。

「お前がこの家賃払えるだけ客をつれてくる自信があるなら、ここを借りよう。」

そこではじめて認識する。
そうか・・・・
スタジオ始めるって、そういうことなんだ。
私がやらなくちゃいけないんだ。
お客さん集め。笑

今思えば本当に申し訳ないことしか、ないのだけど
あの頃はよく、こんな私と共にスタジオ出そうと思ったな、社長・・・・という感じ。
感謝・・・・・・・・・・・・

そのあと
もう少し探そうということになり
不動産をやってる弟にもう一度連絡をして
青山にある知り合いの不動産を紹介してもらった。
そして、その子ががんばってくれた。

いろんなラッキーの連続で、店舗をみつけ
なんとかかんとか、そこで契約。

工事もなにもかも
全然つてがなく
兄弟にいろいろ紹介してもらって
紹介の紹介で、いろいろ無理を聞いてもらって
それで、なんとか形になった、青山の1号店。

オープン当初はスタジオメモアだった、あのお店。
だから私は自分の会社をつくるときに、会社名をメモアにした。
メモアって
私のアメリカにいる友達が考えてくれた名前なんだけど
直訳すると、伝記とか、そんなのなんだって。

ロゴにしやすいとか
聞こえがいいとか
イロンナ理由で、この名前にして
韓国にいるイロンナ人の助けにより
ホームページもできて
あわただしく進む準備。

仕入先も何もわからない状態で
本当に運よく偶然の連続で私は、なんとかイロンナ場所を探してきて
通常よりはたくさん、卸価格でいろんなものがそろえられた。

そして、
不動産を探している途中で社長に訴えた、イロンナ思い。

娘のことも何もかもが不安で
社長の考えが知りたかった。
でも、かえってきた答えは、「自分で決めろ」

今思えばそりゃそうなんだけどさ。

あの頃は
社長がそんなの決めてくれるくらいに思ってた。

いっぱい泣いて
悔しくて
決めた。

娘を、韓国の妹のところに預ける。
妹も、理解してくれる。
なんとかやれることをやっていこうと思った。

まだ小さくて
2歳だった娘。
私が日本に帰る前日、寝かせようとしたときに娘を見てて泣きそうになった。
そしたら娘に言われた。

「大丈夫だよ」

今思えば、2歳半くらいの娘が、何を思って私にそういってきたのか。
だけど
あまりにびっくりして、泣いてしまったんだ。

日本に戻ってくると忙しくて、寂しさは感じなかった。
だけど
夜になると電話がくる。
娘が泣いてる。小さいから、当然のこと。
なんともいえない気持ちになる。
だけど、今は仕方がない。
今から帰るねというわけにもいかないんだから。
気持ちを、強くもつしかない。
私が決めたことだから。

さっき書いたけど、社長に「もう期待しない」といわれた言葉が
なんだか無性に、悔しかった私。
基本的に、人には期待されてなんぼだと思うし(笑)
私は
常に期待以上のことをするにはどうしたらいいのかを考えたりしてるだけに
本当に悔しかったのだと思う。

だから絶対に、がんばって、挽回したかった。
そのエネルギーだけが、私を、押し出してくれたのかもしれないな・・・・
 

 


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